【連載】大麻の論点(1):嗜好用大麻の解禁を進めるべきか。

JANJAN-Newsへの過去の書き込みを再掲したいと思います。

論点1 大麻の少量所持によって受けることのなる社会的制裁は過剰と考えられます。大麻の所持・栽培等の解禁(非犯罪化・合法化)を進めるべきではないでしょうか。

(答え)


 仮に、嗜好を目的とした個人の大麻の少量所持に対する社会的制裁が過剰だとしても、全面的な大麻の解禁(輸出入・栽培・大量所持・販売の非犯罪化・合法化・罰則の緩和)を進める理由にはならないと考えています。


 例えば、個人の少量所持に対する罰則を緩和しつつ、輸出入・栽培・営利等を目的とした大麻所持の罰則・取締の維持、または、それらを更に強化すること等、様々な政策オプションが考えられます。


 最も大事なのは、政策変更により社会的に悪影響が生じないのか、という点ですので、少量所持犯に対する罰則の緩和といった一部の側面のみを議論に取り上げるのでなく、その他栽培・輸出入・流通・大量所持等、大麻事犯全体に対し、どのように対応すべきかということについて複眼的に議論すべきだと思います。解禁派の主張は、上記の点を欠いており、国民に対し誠実さを欠いているのではないか、と感じています。


 大麻の少量所持に対する社会的制裁が過剰であるか、については、そもそもこの主張が成立するか、疑問です。これまで指摘したとおり、大麻の少量所持犯のうち、初犯の者に対する措置は、起訴猶予・不起訴または執行猶予です。よっぽどのことがなければ「刑務所行き」にはならないのです。「刑務所行きという厳罰」を受ける人間は、あくまでも犯罪を繰り返して行った者、営利を目的とした大量所持や栽培を行った者に限られます。出来心や軽い気持ちで大麻に手を出した者が必ずしも厳罰を受けるわけではありません。この違いをきちんと踏まえながら、冷静な議論を進めることが重要ではないでしょうか。


 マスコミによる報道被害、解雇や退学処分等、法律の罰則以外にも、厳しい社会的制裁を受けるではないか、との批判も当然ありますが、社会のルールを破った者に対して何もペナルティがないのであれば、却って真面目に暮らす市民との間で衡平がとれないと思います。従って、ペナルティを取り除くべき、といった議論ではなく、ペナルティの程度を問題にすべきだと思います。


 著名人や公職にある者以外の一般人の大麻所持事件を、いちいちニュースや新聞で実名報道しているのだとすれば、それはやり過ぎかも知れません。その場合においても、まず議論すべきは、報道の在り方だと思います。「行き過ぎの報道があるから、大麻の少量所持の合法化・非犯罪化をすべき」との立論するのは、「自動車事故が深刻だから、自動車運転を禁止してしまえ」と主張するのと同じ程度に安易な考え方だと思います。