セ・リーグ開幕批判のナンセンス

 ナイタ―ありきのプロ野球セ・リーグ開幕に対する批判が物凄い。しかし、東日本大地震で被災された方々に対して不謹慎だとする批判と、国を挙げて節電に努める最中、数万キロワットもの多量の電力を消費するナイタ―は自重すべきとする批判がある。視点はそれぞれ異なるが、インターネット掲示板等では、両者を混同したあまり建設的でない批判も多い。冷静な議論を期待したいと思う。

 被災者に対して不謹慎だとする批判の妥当性は、本当に被災された方にしか分からない。災害報道だけでは気が滅入るから、テレビくらいは、せめて普段通り、平静を保って放送して欲しいという意見の人がいるとも聞くし、その一方、テレビの喧騒は勘弁して欲しいという人もいるだろう。被災者の方々の中にも、意見が大きく別れるところだ。計画停電と物流の停滞で多少の生活の不便を強いられているだけの外野がとやかく騒ぐ類の話ではない、と思う。幸い、テレビは視聴者が不快だと思えば、視聴者側からスイッチを切り、テレビとの一切の関係性を断つことも可能だ。こう考えると、プロリーグを開幕しようがしまいが、リーグ側の勝手、ということになる。

 ナイタ―を開催しようとすると、東京ドームで5万キロワット時、横浜スタジアムで高々3万キロワット時、神宮で高々1万キロワットの消費電力量になるという。1試合3時間とすると、全部合わせて消費電力は3万キロワット(=9万キロワット時÷3時間)、東京電力の供給能力3700万キロワットの0.1%未満である。ナイタ―を自重しようが、しまいが、電力需給に対する影響自体は極めて軽微だ。功利主義の立場からすると、かかる議論はナンセンスということだ。観戦者の安全対策はどうするのか、という議論もあり得るが、それは当然に観戦者もリスクを覚悟の上で球場に出かけるだろうから、外野の人間がとやかく言う筋合いの話ではない。

 こうして、批判に大した根拠がないことが明らかになった。では、何故、8割もの人がナイタ―ありきのセ・リーグ開幕に反対するのか。

 多くの良識的な日本人は、暖房を切ったり、照明を落としたりして、節電に努めている筈だ。また、産業においても、生産計画の大幅な変更を余儀なくされ、計画停電に懸命に対応している。その最中、何の血を流そうともしない非協力的な態度に対する批判が渦巻いたのだろう。ナベツネこと渡邉恒雄氏が開幕を強行に主張した、ということであるが、彼のヒール顔が、更なる批判を集めたのではないか、と思う。

 計画停電により家庭、産業が不便を強いられているのは、紛れもない事実であるが、だからといって電力消費を大幅に減らしているわけではない。東京電力が電力の使用状況と供給能力に関する情報を、ほぼリアルタイムでネット上に公表しているが、ここから判断する限り、高々3分の1程度の節電に留まるものと推測される。だとすると、セ・リーグ開幕も、せいぜい、同じ程度の節電を達成すれば、その社会的責任は十分果たした、と評価していいだろう。例えば、3連戦ガードを当面2連戦にするとか、ドーム球場であれば減光と空調停止をするとか。東京ドームの照明は眩しすぎるし、空調も過剰なので、これだけでも相当の効果をあげることは請け合いだ。節電効果を定量的に示し、冷静な議論を喚起する以外に、批判をかわす方法はないだろう。